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音楽家がかかりやすい「楽器/機材/プラグイン収集病」について

はじめに

わずか数週間程度だが、昔、大学の軽音楽部に体験入部していたことがある。そのときに違和感を覚えた経験について、本題に入る前に語っておきたい。

その軽音楽部では「音が良いこと(≒高価な楽器を使っていること)」が、「演奏が良いこと」以上に、極端に重要視されていたのだ。もちろん出音が良いというのは音楽を演奏する上で重要なことだ。しかし、それから僕は軽音楽部のライブを見て驚くことになる。

良い機材を所有していた彼らの中には、演奏技術が低い人も多かったのだ。左手の運指と右手のピッキングのシンクロが上手く行っていない。不自然な運指をしている。リズムが悪い。そんな状態で、高いマーシャルのアンプを使って満足していたのだ。

大学の軽音部というのは、音楽のプロが在籍しているコミュニティではない。レベルの高い人が少なければ、異質な価値観が支配的となることもあるだろう。

しかし、この「演奏の中身よりも機材・楽器に価値を置いてしまう」という現象は、「アマチュアレベルだから仕方がない」という単純な話ではなく、実はプロレベルの人でも陥ってしまうような、いわば「機材収集病」の症状のひとつなのではないか。最近そんなことを考えたので、今回記事を書いてみることにした。

収集病の定義
楽器や機材、プラグイン等を集めることを、作曲・演奏等の生産的な作業よりも優先してしまう病のこと。



道具か腕か?

先に断っておくが、音楽に携わる人の中には、良い機材を所有しておく必要があるポジションの人もいる。エンジニア、マニピュレーター、楽器のテクニシャン。こういった職業の人は、(腕のほうが重要ではあるにせよ)良い道具を持つことが、良い仕事をすることにつながっていく部分も大きい。

しかし、いわゆる音楽家――作曲家や演奏家の人は注意しなければならない。作曲家や演奏家は、自身の作曲能力や演奏スキル、音楽性が、機材よりもはるかに大切だからだ。

サウンドのクオリティが高いデモ音源を作れる作曲家でも、人を感動させるような良い曲が書けるとは限らない。良い楽器を使っているギタリストでも、優れた演奏ができるとは限らないし、出音が良いとも限らない。

作曲家が本質的に目指すべきなのは、良い曲を書くこと。演奏家が本質的に目指すべきなのは、良い演奏をすること。このことを忘れてはいけない。そして、これらは決して高級な楽器や機材が届けてくれるものではない。

収集病がもたらす弊害

音楽家は本来、音楽を演奏したり作るための道具として楽器や機材を手に入れる。しかし、収集病にかかってしまうと、集めること自体が目的になってしまい、手段と目的が逆転してしまう。その結果、本来の目的である「演奏」や「作曲」といった作業が疎かになってしまう。

また、その結果、せっかくの良い機材もその潜在能力をフルに発揮できないということも起こり得る。道具は、使いこなすことが何より大事なのだ。

例えば、僕は過去に仕事で「ピアノのトラックが良い音にならないので、音源を差し替えて欲しい」という依頼を受けたことがある。もらったMIDIデータを見ると、なんとベロシティが全てMAX。これでは当然生っぽいピアノトラックにはならない。何の音源を使っているのか聞くと、なんとIvory(高品質ピアノ音源)。打ち込みが良くないと、良い音源を使ってもダメという一例だろう。

道具ではなく、人の手が良い音を生み出していく。これはDTMだけではなく、あらゆる作業に言えることだろう。



収集病にかかる原因

マルチな能力が求められる時代だから

今の作曲家は、求められるスキルが多岐に渡っている。ひとりの人間が多くの作業をこなす必要があるのだ。音楽制作の予算が縮小したことと、PCベースの音楽制作スタイルが主流になったことがその理由だ。

作曲ができるだけでは仕事にありつけない。作曲の仕事を獲得するには、完成品に近い品質のデモ音源を用意する必要があるからだ。

そのため作曲家は、作曲以外にも様々なスキルを持っていることが多い。編曲、演奏、録音、ミックスダウン、マスタリング、MIDIプログラミング、シンセマニピュレート……一線で活躍している人は、どの作業も高水準でこなせることが多い。そしてこれらの作業の多くは、良い道具を持っている人ほど、高いクオリティに仕上げやすい。

そんな状況が背景にあるため、人によっては機材収集に走ってしまうのも仕方がないだろう。そうしているうちに、本来の目的である「作曲」という作業が疎かになってしまうことも想像に難くない。

漠然とした不安があるから

「新しい道具を手に入れれば、何かが良い方向に変わるんじゃないか」。こう考えてしまうことも、収集病にかかる原因のひとつだろう。しかもやっかいなことに、この考えはある程度正しい。

作曲家なら、プラグインやソフト音源にお金をかければデモ音源のクオリティが上がる。演奏家なら、楽器のグレードが上がれば音は良くなる。ひいてはクライアントに良い印象をあたえることができ、仕事が上手く回ることもあるだろう。

なら問題ないのでは?と思うかもしれないが、ここがまさに収集病の落とし穴なのだ。選択肢が限りなくある以上、道具探しの旅が終わることはない。だからこそ、自分でゴールを決めなければならない。

ひと通り良さそうな道具が手に入ったら、あとは余計なことを考えずに作曲や演奏に専念する。そういった割り切りも必要になってくるのではないだろうか。

収集病にかからないための対策

本質的な目的を常に意識しよう。作曲家は、曲を作るのが目的。演奏家は、演奏をするのが目的。機材や楽器を買うのは、そのための手段にすぎない。

「TAKモデルのギターを買えば、B'zのようなかっこいいギターを弾けるかもしれない」「EOSを買えば、小室哲哉みたいな作曲家になれるかもしれない」こんな風に考えるのは、好きなミュージシャンがいる人なら自然なことだ。

しかし、音楽を突き詰めていくと、遅かれ早かれ自分の音楽を確立して行く必要が出てくる。それを作り上げていくのは、楽器や機材ではなく、その人自身のセンスや技術といった部分になってくる。

プロの世界には、特別な道具を使っているわけではないのに、個性的な音を出しているミュージシャンが大勢いる。機材マニアの人なら薄々気づいているであろうこの事実を、いつも忘れないでおきたい。

最後に中田ヤスタカ氏の名言を紹介しよう。氏がJ-POP界の革命児となる前の、まさに革命前夜のインタビューだ。

「一時期は電源ケーブルから変えていこうかなと思っていたくらい音質にこだわっていたのですが、踏みとどまりました。やっぱり、電源ケーブルを変えるよりも自分が変わったほうがいいかなと思って。」

出典:サウンド&レコーディング・マガジン 2006年7月号

このような哲学を持っていたことも、彼が音楽の世界で成功した理由のひとつではないだろうか。

皆さんもぜひ、収集病にかかることなく、自分自身の音楽を磨いて行ってください。